沖山翔先生 前編/未来を描く30人の医師のライフストーリー

恒例になってきた医療4.0×医師ラボコラボイベント。

今回は、ヘルスケアビジネス界の神、沖山先生のライフストーリーです!

沖山先生ってどんな人?

少しでもヘルスケア界隈にアンテナを張っている人であればご存知かと思いますが、知らない方のためにプロフィール紹介を。医師ラボが「誰かが沖山先生を知る機会」になれたのならものすごく嬉しいことです!

 

沖山先生は東京大学卒業後、救急医にしてドクターヘリや離島医療などマルチなフィールドを経験。さらにメドレーという医系サラリーマン(医系技官風)も実践。2017年に現在の会社を起業されました。

 

臨床医としてもバリバリの沖山先生ですが、人工知能へも造詣が深く、産総研人工知能研究センター研究員、日経ビジネススクールで人工知能の講師もされています。

 

救急医としてご活躍されていたのに、なぜ人工知能 AIの道へ?

気になる謎を解くため、⒈過去−自分史、⒉現在−アイリス、⒊未来−医療4.0時代の視点から、沖山先生のライフストーリーを辿ります。

⒈ 過去−自分史

<幼少期〜高校>

内向的、悲観主義だった学童期

全国制覇を目指したバスケ部時代、当時の役職は社長

 

沖山先生は小4までアメリカに在住されており、帰国して若干引きこもりになったそうです。

この幼少期〜高校での学びは、

  • 自分の身体との対話(バスケットボール)
  • 自分の精神との対話(受験勉強)

だそうです。

 

自分は「自分自身」なだけでなく、「観察できる対象、介入できる対象」だと気付いたと。なんと若かりし頃からすでにメタ認知!このメタ認知の能力が、天才でいながら「仏」、「神」と呼ばれる人格者を形成するに至った鍵のひとつなのでしょうか。具体的なエピソードを追います。

 

アメリカ帰りの根暗な坊や から、アウトゴーイングになったのは、中学のバスケ部から。さらに、高校のバスケ部は全国大会ベスト16にも行くような強豪校だったとのこと。高校バスケ部での恩師、コーチからの教えは今の沖山先生の血肉となっているそうです。そして実はこのバスケ部、面白い特徴があります。

 

それは、「古武術バスケ」

 

「190cm以上の選手が多いチームを相手に175cmのチームで頭を使って勝つ」「普通に戦っても勝てないからどれだけ自分の体を最大限使うかを考える」

無意識にバスケをしているだけでは動かせない筋肉を動かすと、それが「技術」となるそうです!

 

これはまさにメタ認知。自分という身体を道具として最大限に使う。面白い考え方ですよね。そして、「古武術バスケ」と聞いて思い浮かんだ方がもしかしたらいるかもしれませんが、沖山先生の高校のバスケ部は、あの有名バスケ漫画「黒子のバスケ」に出てくる古武術バスケをやるチームのモデルとなっているのだそうです!

かっこよすぎるエピソードです!

 

「古武術バスケ」部でのあだ名は、社長。現在の会社「アイリス」の素晴らしいチーム力をみると、まさにチームをまとめる能力もこの頃から育まれていたのでしょう。

 

同じく受験勉強から、自分をどうやってコントロールするか、自分をどうマネジメントするか、の方法を、今度は精神面から学んだとのこと。

 

このように早くから自己コントロール、メタ認知が備わっていると、もっと広い世界にでてからの自分の最大の使い方が上手になるので、成長速度も倍増な気がします。

 

<大学時代>

そして、無事、名門東京大学医学部に入学。

大学に入ってからの話のいくつかについては、イベント当日参加者特典のオフレコとします!

 

抽象的に言えば、「大事なことは、自分で感じること」

沖山先生は大学時代にある疑問を抱きます。

「医学を目指しているのか?医療を目指しているのか?」

 

疑問、悩むということは、宝だと思います。悩みって、その人だけのオリジナルですよね。自分だからその悩みが湧いたのですよね。

もしも、医学生の方が何かを悩んだら、その悩みを大事にして欲しいです。それは未来の一端かもしれないからです。

 

「医学を目指しているのか?医療を目指しているのか?」

沖山先生のこの疑問は、当時の未来であった現在に、どこか繋がっている気がしました。

 

 

時を経て5年生のクリニカルクラークシップでは、今後選ばない進路であろう「緩和ケア」を1ヶ月半研修したそうです。緩和ケアといったら聖路加だろうということで、聖路加病院での研修。そこでの気づきは深いものがありました。

 

緩和ケアのトップであろう聖路加病院でも、終末期の患者さんに対しての心や体のケアは、十分ではなかった。優秀な先生たちですら、終末期の患者さんの痛みをとることはとてもとても難しいことなのです。

「死にたい」、「殺してくれ」、「生きててもしょうがない」と言うひともいる。

そんな患者さんたちが、週1回だけ、すごく笑顔な時間がある。

 

火曜日の午後、日野原先生の回診のときです。

 

ほとんどの患者さんにとっても、当時98歳の日野原先生は人生の先輩。

あんなに動くのが大変だった患者さんたちが、むくっと起き上がって、しっかり座っている。

 

日野原先生は、患者さんに触れて、握手をします。

たったそれだけなのに、患者さんたちは、ぼろぼろ、ぼろぼろと涙を流して言います。

「来週の火曜日まで生きます」、と。

 

殺してくれ、死にたいと言っていた患者さんたちがです。

沖山先生は、日野原先生の姿をみて、医療とは何かが、わからなくなった。

日野原先生がしたことは、「会話と握手」。

でも、緩和治療の目的である、「痛みを取り除く」ことは心身ともに、達成されているのです。

 

沖山先生は、「あれ?この治療方法はならってないぞ」と思いました。

 

医療の解釈は、ひとつではない

 

当時の答えの一つは、これでした。そして、大学生活の中で、「人生のメインレールは世間が用意してくれるが、それに沿うかどうかの選択権は自分にある」ということも知ります。

自分自身の「医療」の模索が始まったのです。

 

 

<研修医〜救急医>

基礎作り:自分の考えを持つ

日本一の救急医を目指して

 

医師としての基礎作りは、日赤医療センターで行いました。

日赤医療センターの先生方は優秀で、人格的にも優れていると感じたそうです。

 

研修医をやっていれば医療の知識は降ってきますが、自分の考えは芽生えません。もう研修されている方は頷けるかもしれませんが、医学のほとんどのことは、consensusまでは得られていないことが多いです。まさにケースバイケース、患者さん一人一人にとっての最良を毎回探していきます。

 

ここで、自分自身はどうしていくかというスタンスが大事なのだと気づかれたのです。研修医でここに気づくのは、すごいと思います。

では、どうしたらいいか?

 

「人の意見に対して、自分の意見をもつこと」

 

自分の意見を持つことで、専門家たちとディスカッションができるのです。教科書に書いてある知識や、耳学問の箱になるだけでは、もったいない。スペシャリストとディスカッションすることで、自分自身のスタンスを形成していく。

この研修方法だと得られるものが激増します。医学生の方、現在研修中の方に特にオススメしたい研修方法です。そしてこれは、医学以外のことでも学ぶ手法としてオススメです。

 

「自分の考えをもてば、世界の全てが先生になる」

 

……痺れます。

 

 

さて、二年間の研修を終えた沖山先生は、浅く広いgeneralistに憧れを持ち、自分に適性があると感じた、救急医への道を歩みます。

 

<離島〜船医>

 都心と僻地、医療の違い

 人生設計に費やせる、初めての時間

 

日赤は都心の3次救急でしたが、今度は正反対とも言える、離島。

石垣島は島民5万人、波照間島は島民500人程度です。

 

離島では、「シャーマン文化」がまだ残っています。

例えば腫瘍がみつかったときに、化学療法をするのか、手術をするのか、保存的にみるのか。リスク・ベネフィットの話をして、考えてもらうわけですが、最後に島民の方が仰るのは、「分かりました。シャーマンに、聞いてきます」。

島では、シャーマン文化が医療として成立しているのです。

 

そんなカルチャーショックを受けながらも、日赤時代より時間はありました。ERは外来のみで9時から17時。このとき初めて、時間をとって自分の人生について考えることができました。

 

自分はなんで医療をやっているのだろう?

医療とはなにか?

広義の医療

その人が幸せになったかどうかがアウトカム

 

離島の医療は、都心の医療とは全然違う医療。でも、どれも「医療」

 

 

時間的余裕があるなかで、長期的視野を持ち、沖山先生は「自分のやりたいこと」に気がつきました。

 

後編へ続く→http://media.antaa.jp/okiyama2/

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ABOUTこの記事をかいた人

福田 芽森

私立医学部出身。都内大学病院勤務。循環器内科医、産業医。 趣味は旅行、登山、アート全般、音楽、食事、料理。 文化について考えたり四季を感じることも好き。ガンジス河は遊泳済み。