“人生の師との出会い”加藤浩晃先生② / 未来を描く30人の医師のライフストーリー

医療4.0に登場する未来を描く30人の医師のライフストーリーに迫る”医療4.0×医師ラボ“企画。第1回目はこの本の著者である加藤浩晃先生にその半生を語っていただきました。今回は第2話、臨床医時代の話です。

(第1話 学生時代までの話はこちら)

(この記事は6/23に行われた医師ラボ朝活vol.7の内容の一部を記事にしたものです)

加藤 浩晃(かとう ひろあき)

医師、デジタルハリウッド大学大学院 客員教授

遠隔医療、AI、IoTなどデジタルヘルスの政策提言にも携わる、元厚生労働省官僚・現役医師。1500件以上の手術を執刀、手術機器や眼科遠隔診療サービスを開発。「医療現場」「医療制度」「ビジネス」の3領域を横断的に理解し、企業の顧問・アドバイザーや厚生労働省医療ベンチャー支援事業サポーター、経済産業省J-startup推薦人などを務める。日本医療ベンチャー協会理事、アイリス株式会社取締役CSO、MRT株式会社社外取締役、東北大学非常勤講師、眼科専門医。

がむしゃらに勉強した研修医時代

研修医時代はがむしゃらに仕事をしていてあまり記憶がないんですが、この頃の頑張りのおかげで人生が変わったことといえば、医師3年目が終わった2010年3月、眼科の書籍を出版したことですね。

僕は研修医のとき熱心に勉強をしていて、勉強したことをルーズリーフにまとめていました。それを京都府立医科大学眼科学教授の木下先生が見て「これは売り物になるな。」と言ってくれたんです。それで出版社を紹介してくれて、眼科の検査本を研修医時代の集大成として出版することになりました。この本はすごく売れて、嬉しいことに今でも売れ続けています。

それからこの頃鴨川眼科研究会(KGK)という眼科勉強会を発足しました。

僕は新しく入ってきた研修医を指導していたんですけど、その中にKくんという全く勉強をしない問題児がいたんですね。人間的にはすごい面白い人物だったんですけどその彼に勉強を教えようと発足したのが、Kくんの頭文字をとってKGK(Kくんの眼科勉強会)だったんですね。ただちょっとこの名前じゃ対外的によろしくないなということで、鴨川眼科研究会(KGK)に変更されました(笑)。

知識のシェアを目的に4人で始めた勉強会だったんですが、回数とともに人数が増えてきて資料などもしっかり残すようにしてやっていたら、2012年からはなんと製薬会社がバックアップしてくれるようになりました。場所も始めはコーヒー店の一角だったんですが、だんだん大きなところでやるようになり、2013年からホテルの会場を貸していただけるようになりました。そして現在では関西圏の様々な大学の若手眼科医の集まる会にまで成長しています。

白内障・緑内障手術を極める武者修行

医師4年目からはバプテスト眼科クリニックで眼科手術の武者修行が始まりました。

バプテスト眼科クリニック

この関連病院は京都の中で一番手術件数が多く、年間約5000件の手術が行われていて、京都に住む芸能人も通うような病院でした。僕は年200~300の手術を執刀しました。

ここには偉い先生たちもたくさんいたので、なかなか自分に手術が回って来ませんでした。僕はとにかく手術がやりたかったので、手術がたくさん回ってくるように色々なことを考え出すんですね。

例えば、自分が講演できる場を作ろうと京都府民向けの眼科講座をやったり、眼科学会のサマーキャンプで講演し眼科医のやりがいや楽しい生活を伝えたりしました。

また自分の手術を受けてくれる患者さんを獲得したくて自分の顔が載った院内広報誌を作って配ったり、

手術が上手くなってきてからは白内障の手術指導講師をやったり、

さらには二刀流チョッパーという白内障の手術器具まで自分で開発しました。これは二つの手術器具の機能を一つの器具にまとめたものです。ちょうどこの頃野球の大谷翔平選手がプロに入り彼の2刀流が流行っていたのでそれにちなんで命名しました(笑)。

また当時は月1回ぐらいのペースで様々な有名眼科に出向いて、教育用のビデオだけではわからない動きや思想なども学びました。思想というのは実は大事で、手術をやっていると一定の確率で難しい患者さんに当たるんですね。そういうときどう考えるのか、どういう心の持ち様でいるべきなのかということも学ばせてもらいました。

今日本で一番白内障の手術をしているのは広島県福山市の三好眼科の三好輝行先生です。全国から患者さんが集まってきて、これまでに6万7千件ぐらい三好先生一人で執刀されてきました。僕は厚労省に入る頃まで年に1回は三好先生のところに学びに行って喝を入れてもらっていました。

三好眼科で特徴的なのは、そこら中に仏像が立っているんです。大仏師の松本明慶という方の像だそうです。待合室や手術室にもこの仏像があって、手術前にはこの仏像にお祈りをしてから始め、自分と向き合いながら手術を進めて行くんです。そこで学んだのは「三好先生ぐらい突き詰めると最後は気持ちが大事なんだな。腕も大切だけど、手術に対する心の構え方が大切なんだな。」ということでした。

そして技術や思想を学んだ後はそれを持ち帰って実践して、また持ち帰っての繰り返しで眼科医としての腕を磨いていきました。

大学院で好きだった教育に取り組む

眼科医としての腕を磨いていく一方で、2013年には京都府立医大の大学院に入りました。しかし研究生活がどうも合わなかったようで、大学院に入って最初の夏の医局旅行の時、木下教授から「大学院を辞めろ」と言われたんです(笑)。

「お前は全然楽しそうじゃない。臨床とか手術をやってる方がいいんじゃないのか。」と。最初は「ご冗談でしょ?(笑)」と思ったんですが、その後も11月に教授にあった時「そろそろ辞めてもらわんと」と言われ、教室で一緒に昼ご飯を食べながら「お前はなんで将来どうしたいかを考えられないんだ」とこんこんと言われました。

そして「加藤はやりたいことや将来について考える時間がないんだな」となり、教授はすぐ医局長に電話して「火曜午後の手術バイト、加藤にはやらしちゃいかん」と(笑)。それで僕はバイトができなくなって火曜の昼が空きました。当時はなんて暴君なんだと思いました。収入に直結するから家庭の生活もだいぶ変わります。ちょっと待てよと(笑)。

でも今考えるとそれがとてもよかったんですね。

ちゃんと将来について考える時間ができ、また木下教授からどうするのか聞かれた時に、「やっぱり大学院はやめたくない。教育が好きだからやりたい。」と伝えました。するとそれならいいじゃないかと言ってもらえて、教育をやることになりました。

その頃ちょうど京都府立医大にも医学教育ができたので、そこでやろうと思い教授に伝えると「あかん!やると決めたら日本一のとこでやれ!」と言われたんです。

それでどこでやろうかと全国の大学を調べてみることにしました。調べていく中で東大の錦織宏先生の記事を読み、この先生に学びたいと思うようになりました。しかもその先生がちょうどその頃京大に移ってくることがわかり、じゃあその先生のところでやろうということで京都大学医学教育推進センターに国内留学することになりました。

京都大学医学教育推進センターに国内留学

京大時代には「患者さんも眼科のことをわかってないと思うけど、眼科以外の医者も眼科のこと全く忘れていると思う」という内科医の先生からの言葉で、セミナーなどで非眼科医への眼科教育をはじめました。

さらに非眼科医への教育プログラムをちゃんと科学的に作ろうと思い、ヨーロッパの医学教育学会がやってる医学教育プログラムに参加して、日本で初めてこのcertificateを取得しました。そしてその後は京都大学医学教育プログラムの教官をやらせていただけるようになりました。

他にもその頃ケアネットや医師国試予備校で講師として動画を配信したりもしていました。

ケアネットでの講義動画

また僕は医療漫画を読んだり集めるのが趣味で、京大の図書館の一角で医療漫画を自由に借りれるようにしたいと思ってたくさん紙で集めていました。さらには”漫画好き”が自分の強みだと思い、漫画についての論文を出すんですね。医療漫画の教育への利用について書いて(タイトル“A Potential Use for Manga in Medical Education”)、それが「Academic Medicine」という3大医学教育雑誌の一つに載ってみんなにびっくりされました(笑)。その雑誌への日本からの掲載はかなり稀だったそうです。

加藤先生オススメの医療漫画たち

ビジネス、厚労省と加藤先生はさらに活躍の幅を広げていきます!続きはこちらです。

 

〈文=佐々木祥貴(@7yoshitakas)〉

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