“また行きたくなる病院を目指して”北城雅照先生/未来を描く30人の医師のライフストーリー

医療4.0に登場する未来を描く30人の医師のルーツと半生、その生き方に迫る”医療4.0×医師ラボ“企画。第10回目は北城雅照先生にその半生を語っていただきました。

(この記事は10/14に行われた医師ラボ朝活vol.10の内容の一部を記事にしたものです)

北城 雅照

北里大学医学部卒。医療法人社団新潮会理事長、整形外科専門医、経営心理士。

5つの診療所が入った医療モールと回復期リハビリテーション病院が併設した医療施設を2019年6月に東京都足立区に開設予定。

またAI時代を生きる人間中心の経営を説く、経営心理士の資格も持つ。

自分の城を持とうと考えた学生時代

実は実家が靴屋で、高校を卒業して医学部に入るまでは実家で働いていた経歴があります。

なので靴屋で三年間働いた人しかなれないというシューフィッターの資格を持っています。

それから叔父がIBMのアジアパシフィックの代表まで勤めたことがあります。そういった経緯もあり、医者になった後もいつかは自分の城のようなものが欲しいと、学生の頃から考えていました。

北里大学医学部を卒業し慶應義塾大学の整形外科に入り、今年の4月に新潮会の理事長に就任しました。

経営について学ぶ必要があると思っていた時に、人にフォーカスした経営というものを学んでいきましょうという会があったのでそこに参加し学ばせてもらいました。そして経営心理士という資格を取得しました。

”しくじり先生”失敗から学ぼう

では、早速本題に入りたいとは思いますが、今回は今までどんなことがあったかといった紹介よりは、失敗をして学んだことをシェアする方が勉強になると思いましたので、こんなことはやってはいけない等気づいたこと気をつけてほしいことを皆さんにお伝えしたいと思います。

今回伝えたいことは、まとめるとこの4点です。

それぞれが著名な方々の言葉なのですが、これから一つ一つ紹介していこうと思います。

僕は今37才で、人生のそれぞれの段階でのしくじりがあって、その都度僕もバージョンアップしてきました。

まず最初に、小学生の半ばの時に一度凹みました。これは誤診だったと思うのですが、ペルテス病の診断を受けました。二ヶ月間ここで運動が禁止になりました。

そのことがあって医者になりたいという気持ちも生まれたので、今思えば良いきっかけだったと言えるかもしれません。

しかし当時野球や剣道に夢中になっていた少年に、二ヶ月動くなというのはとても酷な宣告です。それでも二ヶ月間安静後には動けるようになったので、医者の言うことを聞くと本当に治るのだ、医者はすごいなとも思った次第です。

その後中学校でもまた凹みます。これがなぜかというと、自分勝手でわがまますぎて仲間外れにされてしまったのです。

その中でも救ってくれた友人がいて、信頼関係を構築し直すことができました。

その後、隣の席だった学年2位の友人の助けもあり、必死に勉強した結果受験で日比谷高校に入学できました。

その後勉強の継続があまりうまくいかず、周りとの会話にもどんどんついていけなくなり、それでも強がってしまう自分がいました。勉強がうまくいかなくても、家が靴屋なので靴屋をやればいいんだ、と強がってしまったのです。

そうしているうちに周りと会話がかみ合わなくなり、部活以外で友達がいなくなり辛い日々を過ごしました。

幸い部活の友達は理解を示してくれ、卒業後はそのまま実家の靴屋に就職しました。

ここまでが北城1.0ということになります。

ここで学んだ失敗というのが、わがままで自我が強すぎるのは良くないということです。

三人兄弟の3番目という理由もあったかもしれませんが、なぜ自分の思い通りにならないのか、と思ってしまうのです。

そのせいで勉強なんてできなくていいんだ、と強がって斜に構えてしまうことで仲間外れになってしまいました。

その都度救ってくれる友人がいて、強がっていた割にはそうした友人には弱い面も晒け出し相談できたのが助けになりました。最終的には彼らの意見を参考にし、吸収してなんとかやってこれたのだと思います。

これが、第一に伝えたいことである『衆智を集める』につながります。経営の神様と呼ばれる松下幸之助さんの言葉です。

体力もなくお金もなく人脈もない、そんなところから上まで上り詰めた方です。もともと自分には何もない、周りの人はみんな自分より優れた人だった、だから周りの人の意見をどんどん取り入れよう、いうことをスタンスにしていたのです。

自分の考えに固執せず広く意見を取り入れること、それを自分も実体験として学んだので、今はその点について常に気をつけています。

北城2.0~ 靴屋から医学部を目指して

無事に靴屋に就職したものの、実家なのでやはりどうしても甘えが出てダラダラしてしまいました。

そんな中で、一緒に遊んでいた友達が交通事故で亡くなってしまったのです。二日前まで元気に一緒に遊んでた友達がです。

レーシングが好きで、自動車の整備学校に通っており、その道で生きていきたいと友人の中でも夢を熱く語る人でした。僕なんて、実家をただダラダラ継いでいた時だったので、彼のことは本当に凄いと思っており、彼の夢も応援していました。それが、遊んだ二日後に亡くなってしまったのです。とても衝撃を受けました。

そして、僕もこのままではいけないと気づき、2年半の浪人生活を開始しました。ここで僕はもともと何になりたかったのだろう、と振り返ることになります。

この人生に迷っていた頃に知ったことですが、人生の33%は睡眠で、50%は仕事、自由な時間というのは17%しかないのです。

この50%をこうやってダラダラしていてはいけない、やりがいのある仕事をしたい、と思うようになった結果、医学部を目指すことになりました。

 

ここで懸命に勉強した結果コミュニケーション障害になります(苦笑)。そのコミュ障のせいもあるかもしれませんが、第一志望でA判定だった東北大にセンター試験で失敗してしまいました。センター試験でシャープペンシルの芯が切れてしまって、手を挙げて周りの人に借りればよかったものの、コミュ障なのでそれが出来ない。鉛筆でなんとかなると思い、そのまま誰にも言わずに太くなっていく鉛筆と格闘しパニックになりながら試験を終えました。センター試験で上手くいかず東北大学には落ちてしまったものの、それでもなんとか北里大学に拾っていただき無事医学部に入ることはできました。

もともと国立志望でしたが私立医学部に入学となったので、学費は全て自分で稼ごうと決めました。

また、単位を落とすと再履修にもお金がかかるということだったので、一つも単位を落とさないよう努力しました。

アメフト部にも所属し医科歯科リーグ3連覇をすることもできました。

また、2年半のコミュ障から脱却するためにアルバイトを掛け持ちし、接客業に真剣に取り組みました。

その時に気づいたことが、FOLLOW YOUR HEART. スティーブ ジョブスの言葉です。

人生の時間は限られているので、他人の決めつけた人生などに時間を無駄にしている暇はない、本当にやりたいことは自分が一番よく知っている。自分の信念や情熱に従う勇気を持とう、というスピーチです。

ちょっとでも興味を持ったら、まずやってみればいいのではないかということは、常々思っています。

キャリア構築がどうこう、といった風に悩む前に、面白いと思ったらまず飛び込んでみるといいと思うのです。

そう考えたので、学生の頃にピアノを学び始めたり、Adobeで映像のアフターエフェクトを学んだりしました。それらのことが最終的には今の開業にもつながってきます。

北城3.0 ~ 臨床経験を積んだ研修医時代と研究、そして起業

無事に医者になり、研修医時代も楽しく過ごせまして、ここで結婚し子供も生まれて非常に充実した生活を送ります。

整形外科を選択した理由は、やはり患者さんが目に見えて治るという点においてやりがいを感じたからです。

慶応の整形外科に入り、1年目は慶応病院に所属していましたが、2年目からは関連病院に入りました。そこで手術を400件やらせていただくことも出来て、いろいろな症例を学びました。ただ、あまりにも忙しく家に帰れず、人生としては多少下降気味になりました。

そのあと都立小児センターに行きました。整形外科が三人しかおらず、365日オンコールという現場で、臨床のスキルはとても広がり楽しかったのですが、奥さんとしてはかなり不満が募っていたようで離婚の話まで出てしまい、ここで人生を見直そうということになりました。

ここで成人も小児も臨床としては広く学べたので、あとやってないこととして研究にチャレンジしてみようということになり大学院に入りました。

また、そこで出会った方々と起業、クリニックの立ち上げなどをしました。

今やっている事業としましては、茨城の医療過疎地域で、医局がドクターを派遣していたのを自前でやっていこうといった内容です。

アルバイトなどでやってくるドクターというのは患者さんからもあまり評判が良くなく、開業医の方からもリスクとなってしまいます。そういったことも担保しつつ、ちゃんと医療を提供できるようにしましょうという考え方です。

こうしてクリニックも立ち上げ、無事に学位も取得しました。

北城4.0 ~ 『また行きたくなる病院』設立へ

ここでわがままが再発してしまいまして、フリーな時間は自分のために使いたいと思うようになり、サーフィンに没頭してしまうんですね。

すると、奥さんとの関係はまたピンチですよね(苦笑)妊娠、出産で不安定だった時期もあり、あまりケアしてあげられなかったことは後悔しています。

ここで自分の行動を見直して、インサイドアウトを心がけようとかんがえなおしました。

ということで、ここでInside Outが出てきます。

人間は、現象を自分のパラダイムで認識してそれを世界として認識しています。認識装置を変えれば、世界を変えることができるということです。

例えば僕は、自分のフリーな時間は自分の自由に使わせてくれよ、と思っていましたが、そうではないのです。皆が心地よい環境を作らなければいけないのではないかということに気づきました。

人生を変えたければ自分が変わらなければいけないということで、七つの習慣が紹介されています。

そして、ここからは僕のこれからについてです。

開業します!

 

足立区は人口68万人で、分布も日本の人口分布とほぼ一致しており、スタンダードな医療を提供しなければならない場所ということになります。ここにはもともとは80年間産婦人科を提供してきた太田病院があったのですが、経営も縮小し院長さんも高齢となっていらっしゃいました。

しかし、この土地で医療を提供するという環境は残したいというご意向があり、さらに我々整形外科が時代にフィットした医療を提供できるのではないかということで、新しい病院の形を提案をさせてもらいました。

医療法人社団新潮会足立慶友病院

出来上がりはこのようになっています(下図参照)。1階から4階までが医療モールで、その上が病院になっています。

モールと病院が一緒になっているというのは日本初の試みです。

日本では、病院は入院患者メインの病院の仕事を、クリニックはクリニックの仕事を、という風に場合分けされた形で今までやってきています。

外来はクリニックで診てもらい、必要な場合は上の病院に入院してもらう。そして上の病院でも対応できない場合は、三次病院など大きな病院に診てもらいます。しかし大きな病院は長期の入院は困難なので、それをまたこちらで受け、地域に戻れるようにもしています。

地域包括ケアの中心的存在になれるのではないか、と東京都に話を持って行きましたところ、認可がおりました。

ビジョンとしましては、正しい医療を提供しみんなが元気に健康になり、また行きたくなる病院にするということです。

なぜ『また行きたくなる病院』を目指すのか?

これまでの医療は共感などは必要とされず、パターナリズムに陥りやすい環境でした。しかし、医療技術が進歩することで救えるようになったために、リハビリテーションが必要になってきた症例がたくさんあります。ここにおいて、新たに共感が必要とされるようになってきたわけです。

今は、また次の段階で生活習慣病にならないようにするという予防がキーになってきています。こちらは今の日本人の感染症以外の死亡数です。喫煙や運動不足が深く関わっていることがわかります。

こんなことは、誰もが知っていることです。しかし、皆さん行動に移すことができないのです。なので、これを止めましょう、と警告する医療はもう通用しないと思うのです。

責めることでは、何も解決しません。北風と太陽のお話と同じです。今までは北風理論でやってきました。これをやったら死んでしまうから止めましょう、と。しかしそれではうまく行きませんでした。

例えば、整形外科では歩いてください、と散々言いますが多くの人は実行してはくれません。ところがポケモンGoを持ったら皆歩き出してしまう。

最近は外来でもよくやっていることですが、携帯についた万歩計の数値のフィードバックをしてあげることで患者さんも喜んでくれ、やる気につながるのです。

その結果として、『また行きたくなる病院』というビジョンにつながります

あそこに行くと、元気になる、楽しくなる、そういった場所さえ作ってあげられればいいのです。

そして、本当に医療が必要になった時に、適切な医療を提供できる病院に行けばいい。

そういう意味で、健康になれる場所作りとしての『また行きたくなる病院』ということです。

 

今の立ち位置としましては、世の中をよくしようというよりは、少なくとも目の届く範囲の世の中を良くしたいという風に考えています。

自分の作る病院で、働く人や患者さんにとってのいい環境を作っていきたいと常々思っています。

そして、皆違って皆いいという考え方を持っており、それらの違った意見を人格否定することなく、お互いに交換する中でよくなっていければいいと思っています。

そういう意味では、WinーWinの関係になれるような人と仕事をしていきたいなと考えています。

ということで、今日のまとめとしてはこの4点に集約されます。

 

〈 文 = 江崎 聖桜 〉

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