阿部 吉倫先生① / 未来を描く30人の医師のライフストーリー 

医療4.0に登場する未来を描く30人の医師のライフストーリーに迫る”医療4.0×医師ラボ“企画。今回はUbie株式会社阿部吉倫先生にその半生を語っていただきました。

(この記事は7/28に行われた医師ラボ朝活の内容の一部を記事にしたものです。)

阿部 吉倫 (あべ よしのり)

Ubie株式会社共同代表、医師

Ubie株式会社共同代表、医師。2015年東京大学医学部卒。東京大学医学部付属病院、健康長寿医療センターで最先端医療と高齢者医療の最前線を経験。その傍ら膨大な文献からデータベースを生成し、問診質問選定アルゴリズムを開発した。2017年、医療現場を技術で手助けすべく、Ubie株式会社を創業。

出生から高校時代まで

阿部吉倫と申します。Ubieという会社を1年半くらいやっています。本日は自身の生い立ちについて話していこうと思います。

僕は大阪西区の心斎橋近くで生まれました。けっこう危険なエリアで、近くにはアメリカ村があり、高校の先輩たちがミニバンで連れ去られる事件が起こったりするような世紀末都市でした(笑)

ケーキ屋の長男として生まれ、堀江中学校という公立中学校に進学しました。そこにいた人種は2種類で、部活に入り運動を頑張っているか、不良になって暴れているかのどちらか。僕は前者で、バスケ部に入って狂ったようにバスケットをしていました。

高校も公立に進学しました。大阪府立大手前高校という、学区内では一応頭の良い高校でした。中学時代に部活ばかりしすぎたせいで内申点が悪く、理数科には行けずに普通科に行きました。Ubieの共同創業者である久保とは、この高校で出会い仲良くなりました。

入学してからの思い出といえば、僕の年から大手前高校では交換留学が始まったんですが、倍率が18倍もあったんですね。その倍率に勝ち抜き留学に行けることにはなったんですが、その直後の中間テストで318人中313位という成績を取ってしまいました。「お前は初の交換留学をどうするつもりだ?」と、その時は教師に初めてガチで詰められまして。その時、人生で初めて大人の世界の力学に触れたと感じました。

それからも成績はそれほど伸びにずのらりくらりとやってましたが、高2の冬から久保と「受験というイベントがあるらしいぜ」と盛り上がり、受験勉強を始めました。大阪の高校にありがちなんですが、大体賢い人たちは京大に行くので京大に行きたいなと。成績は真ん中より悪いくらいで教師には無理と言われたんですが、学年で20人くらいは京大にいけるので頑張ったらいけるかなと思っていました。初めは京大を目指していたんですが、当時ドラゴン桜(注:受験勉強をモチーフとしたドラマ化もした漫画)が流行っていて、その影響もあって何かの間違いで東京大学理科3類に出願してしまいました。

他の科目はよかったんですが英語が全然できず。直前に英語を死ぬほど頑張ったのですが、結局失敗して落ちてしまいました。しかもその年、京大の後期試験が廃止されたため、当初予定していなかった大阪大学に行くことになりました。

大学時代(大阪大学から東京大学へ)

サイエンスがやりたかったので、学部は理学部に入りました。大阪大学時代はITやベンチャーには全然出会わず普通の学生でした。

それなりに楽しくやれてたんですが、どこか違和感があったので、もう一度大学受験をするために大学に通いながら模試を受けていました。この時の阪大の先生がめちゃくちゃいい先生で、普通は再受験なんて考えるのをやめなさいと言われる所、「頑張って欲しい。休学しても2年生にはなれるようにしてあげるから。」と応援してくれました。有り難く後期からは休学し、駿台に通っていました。再受験先に東京大学理科三類を選択したのは、研究はどこでもできるかもしれないが、医学は医学部でしかできない。更に理Ⅲなら選択肢も広いのではないかと考えたからです。

無事再受験に成功した19歳、ここからようやく人生が始まりました。大学には入ったものの、例によって燃え尽き症候群でフラフラしていました。サークルには入らず、バイトもせず、空き教室でトランプして遊ぶ、自分で言うのも何ですが本当にしょうもない学生でした(笑)

しかしここでガツンときた出来事がありました。それはGoogle翻訳との出会いです。それまでPCに全然触ったことがなく、情報の試験でクラスで唯一不可を取ってしまうような学生だったんですが、医学英語の課題でGoogle翻訳を使い驚きました。当時はまだ精度もよくなかったのですが、それでも、「英語を放り込んだら日本語になるなんてすごい!技術ってすごい!」と思いました。自分が出来ない事や苦手な事は技術に任せればいいんだなとここで確信しました。

ビジネスを学んだ食事部での活動

Ubie共同創業者の久保は京大に進学したんですが、大学院から東京に出てきました。当時僕は医学部5年生で、エネルギーを持て余していたので久保と二人でサークルを作ることにしました。何のサークルかというと、”ご飯を食べる”というサークルで、コンセプトは「誰でも入れる敷居が低すぎるサークル」(笑)。当時、極限まで入るハードルを下げたサークルというのはありそうでなかったので作りました。一見すると怪しそうなので、名前は硬めの感じで「食事部」と名付けました。

僕はこの食事部でビジネスを学んだと思っています部員を集めるために、逆張りで新歓期の最中ではなく、新歓期が終わった時期にビラを貼ったりしました。そしてフリーランチで部員を集めて、そこからの紹介でスケールし、一時は60人位いました。ゆるいサークルに見えるけど、遠征も行くし、本当に美味しそうなものを食べに行くという、食事に対して本気のサークルでした。

学祭で物を売る時も本気でやりました。最初の駒場祭でロールキャベツを売ったんですが、一つ生産するためのオペレーションコストが滅茶苦茶高いし、ビジュアル的にも映えない。原価11万円で売り上げ13万円、人件費は出てないので2万円しか利益が出ず、これならバイトやってた方がいいよねという結果に終わってしまいました。1日5回くらい来てくれるリピーターもいたのでプロダクト自体は良かったのですが、ちゃんとマーケティングもやらないとダメだなと勉強になりました。

次に、お酒を売る事ができる5月祭という学祭がありました。お酒は仕入れて売るだけなので、オペレーションコストはありません。当時僕はワインバーで働いていて、ソムリエの資格を持っていたので、それを活かしてビストロをやることにしました。料理とワインのマリアージュというテーマで、twitterで紹介するとワイン2杯目無料とか、そういうのもやって、実際50万円売り上げる事が出来ました。利益も25万円位出て、2回目の学祭は成功させることができました。

ただチームマネジメントで失敗し、サークルは一代で消滅してしまいました。組織として問題があったのは、人によってコミットメントに差があった事です。最初に色んなタイプの人を集め過ぎたのが失敗だったかなと思います。サークルの中には、ご飯を食べに行くのはいいけど頑張りたくないですという人もいる。敷居が低いという事がコンセプトだから仕方ない部分はあるのですが、入る段階で何か役割を与えないと部員全員にコミットしてもらえないと感じました。

また、僕が引退して誰が部長になるのかも問題になりました。後輩の中にもコミットメントが高いメンバーは5,6人いて、その中に一人、食をめちゃくちゃ愛しているやつがいました。僕はそいつに部長になって欲しかった。しかしオペレーションをやりたい人が部長に立候補したので、その人を部長にしたらサークルが瓦解しました(笑)。その人は学祭の準備でも、学祭実行委員会の窓口とか物品の準備でも、全部やってくれてとても有り難かったんですが、結局は食に対する想いが強い人間、食そのものが好きという人間に移譲しないとダメだったと後で気づきました。

そんなこんなで失敗はあったものの、このサークル運営が大学に入って一番頑張ったし、勉強になりました。

後編ではUbieの創業について迫ります!近日公開予定なのでお楽しみに!

 

〈文=和田 伊織〉

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